ふやけたコロッケ

そんなかんじのことです

開き直りの繰り返し

 

もう7月になってしまった。

梅雨ってこんなに長かったっけ?と毎日思わされている。

 

2021年も下半期に入ってまだ12日しか経ってないのに、この間に色々なことが起こった。

 

まず、7/1の晩に交通事故に遭う。幸いにも骨折などに至らず軽傷で済んで、今は不自由なく生活することができている。

事故の日の晩、病院のベッドの上で「あの時あの横断歩道を渡っていなければよかった」と後悔したけど、今はこんな中途半端に生活に悪影響を及ぼしたことに腹が立つ。事故自体よりも、中途半端さに腹が立つ。

 

ミュンヒハウゼン症候群になってしまう人の心理が少し分かるような気がした。

色々と満たされていない人間が「大変だったね」とか言われると、ああ私ってかわいそう!という気持ちに拍車がかかって、よろしくない。

精神が不健康でも、肉体くらいは健康でいたほうがいい。

 

 

そういうバッドなニュースがあったかと思えば、希望職種の内定の連絡が来たりもする。

一応2月くらいから就活に取り掛かっていたので、やっと内定の二文字を見ることができて安心ではあるが、これがゴールじゃない。

アルバイトや学校生活で、自分のよろしくなさというのは嫌という程わかっているので、このまま社会に出てしまったら間違いなくやらかすだろうなあ、というのも十二分に自覚している。

 

研究室ぼっち・バイトクビ経験あり・留年の可能性あり、という社会不適合役満みたいな人間なのに、なぜだかわからないが「いや、自分どうにかやれてるのでは?」とか思ってしまう瞬間が多々あり、そういう時の勢いで人生を進めている感覚がある。

最近気付いたが、わたしはどうやら図太いのかもしれない。

 

常に自分はおかしい、自分は社会に馴染めない存在だと思っていた時期もあった。でもそれではつらすぎるので、関われる範囲でヒトと関わったらいいんじゃないの、という考えにシフトした。

でも結局自分本位で生きすぎだし、低労力で生きることに慣れてしまっている。

中学高校と、一番人間的に成長する時期に他人との関わりを避けて、莫大な時間を無駄にして、結局大学に入れたものの何か大事なものは全然得られていないような気がして、ずっとうっすら死にたい。

そんな状態で社会に上がって何かが務まる気もしなくて、「内定おめでとう」を素直に受け取れない。

 

卒業研究のテーマも、そういう自分の人生を若干反映させている部分があるので、卒業研究について考えることは、自分について考えることで、なんでこんなテーマ選んじゃったんだろと思うけど仕方ない。

 

やるしかねーんです。図太く。