ふやけたコロッケ

そんなかんじのことです

克服したいとは思ってる

 

 

とにかく吐くという行為が怖い。

 

嘔吐恐怖症 - Wikipedia

 

 

いつからか、吐くことや人が吐いていることにとてつもない恐怖を感じるようになっていた。

小学生の頃には隣のクラスの牛乳を戻しやすい子が恐怖で、給食の後はその子の教室の前を通る時息を止めていたほどに。

飼い猫や家族が吐いた階のトイレは使えなくなるほどに。

 

 

そんな人間が全身麻酔と対峙する話です。

 

経緯

 

9月半ばに納期を迎える業務を抱えていたころ。新入社員ながら上司の仕事の振り方に納得がいってないまま残業するような日々が続いていた。

金曜日の朝。会社に遅刻しないギリギリの便は7時52分発。その一本前の7時44分の便に間に合わせるべく大人気なく立ち漕ぎで駅までの道を自転車でダッシュしていた。

 

ら。

 

家出て3分もしないうちに傘が自転車の前輪に絡まって転倒。あまりに急展開。

運ばれた脳神経外科で診断されたのは頬骨骨折。

診察室に入って開口一番くらいに「手術が必要かと思われます」と言われた時はショックで痛みが飛んだ。自分の人生で聞くことはないセリフだと思ってた。

紹介状を書いてもらい受診した形成外科でも同じく手術を勧められる。

 

 

全身麻酔ですよね?」

「はいそうです」

 

 

いつだったか、全身麻酔は覚醒後が吐き気地獄ということを知ってから、一生大怪我と大病はしないと心に誓ったはずだったが。

 

あまりの急展開でショックな中、血液検査とX線と心電図をとるために、さながらDV彼氏に殴られたような顔で広い病院の中を右往左往する。

血液検査も抗原検査も通常時ならビビり散らかしていたけど、手術宣告で最早屁でもなかった。

 

 

そこから入院初日までは正直もう「手術する」という事実と向き合わないようにしていた。というかその頃は嘔吐のリスクとかよりも、この手術で目が覚めなかったらどうしようという思いの方が強かった。

 

初日。火曜日の昼から入院し、初めての入院に心細さを感じながら売店に行ったりして暇を潰す。

夕方ごろに同室の全麻明けの人が戻ってきて、その人も手術が怖かったのか終わったことに安堵しているような独り言が聞こえてきた。

2,3時間で結構病室から遠くまで歩いたりしていたようなので、思ったより全身麻酔って大したことないのかな?とその時点では思っていた。

 

さて、夜ご飯食べ終わって消灯する少し前、マジで手術嫌すぎるな~~と思いながら手持ち無沙汰にムーミン谷の探し物をプレイしていたら、なんだかBGMに紛れて唸るような声が聞こえるのだ。

 

さっきまで元気かと思われた同室の方だった。

 

こういう時の嫌な予感はもう十何年も培ってきている。自衛のためにイヤホンで音楽をきいていたら、看護師さんが駆けてくるような気配が仕切りのカーテン越しに見えた。恐る恐るやりとりを聞いていたら、その予感は的中していたようだった。

 

嘔吐恐怖症にとって、同じ空間に吐人(げろんちゅ)というのは、絶体絶命、地獄の淵、ジ・エンドでしかない。

 

そこからはどうすればこの空間から脱走できるかをひたすら考えた。

仕事休んで入院してる以上治さなければいけないことはわかっていても、すぐに病室の窓から飛び出して脱走したいくらいだった。病室は6階だったからその手は諦めるしかなかったが、2階くらいなら脱走していたかもしれない。

 

イヤホンをぎゅっと耳に押し込んでギターがなるべくジャキジャキしてる曲を聴きながら寝ようとするも、同室の人が寝返りする気配ですら怖くて動悸がする。

純情ランドセルを一枚聴き終えたあたりでいびきが聞こえてくると安心して、BGMをクラシックに変えて目を瞑るがほとんど眠れなかった。

 

なんせ明日は我が身なのだから。全身麻酔のリスクについて延々と調べていると「若い女性」は全身麻酔後吐き気がでやすいとの記事を見て、その時ばかりは老いを求めた。

 

そんなこんなで一晩が過ぎて、部屋に光が射し始めたAM6時ごろ看護師さんが体温と血圧をはかりにくる。37.5度。んー、とちょっと悩む看護師さん。

手術することを受け入れられてた訳ではなかったが、その時やっと、「吐き気が怖いので吐き気止めを点滴に入れてほしいです」と看護師さんに伝えることができた。

 

その後も熱を何回か測りにこられ、30分前くらいになるともはやどうにでもなれという気持ちに変わり始める。朝には同室の人は回復していたからそれで少し気持ちが落ち着いたということもあった。

 

 

結果、微熱でもオペ決行となり、8:40看護師さんが病室に迎えに来る。一緒に手術室へ向かう道中で看護師さんが同い年なんですー!と教えてくれて、ご立派っすねーと感心する余裕はまだ残っていた。

 

手術室は何個か並んでおり、わたしの入る手術室に着くと人がいっぱいいた。

 

一通りやりとりしたら手術台へ案内され、もういよいよ逃れられないことがわかってきて、点滴に吐き気止め入れていただきたいですってことを伝えて(絶対前もって言っておいた方がいい)、怖い怖いと連呼していたら、「とりあえず寝てみよっか」とオペ室ナースにたしなめられる。

そう言われると少し心理的なハードルが下がって、寝るだけ寝るだけ、と思って寝てみる。そこから流れるように心電図つけられ、点滴を挿され、またピーピー喚いてたら気の強そうなオペ室ナースに「子供でも出来るねんから」と言われる。それはそうだろうけども!

 

点滴がささると、恐怖で呼吸が浅くなってるからなのか、薬の影響なのか、身体が痺れるような感覚があった。

そんな状態の中、枕元でパソコンの不具合かなんかでログインできないとプチ騒ぎになっており、中止にならんか?!とまだその時点でも逃げようとする。

騒がしくてごめんね〜と謝られた。朝イチの手術はこういう事がよくあるのかもしれない。

 

不安すぎて他にたくさん聞きたいことあったけどなんだか声出す気力もなくなってきて、さっき看護師さんがつけてくれたラジオから流れる髭男をぬぼーっと聴いていた。

 

準備が整って、不織布マスクの上から酸素マスクがつけられ、深呼吸してくださーいからひとつふたつ呼吸したら…ぷつんと切れるような感覚はなくて、

みてたテレビが目を離したすきに再度画面見たら砂嵐になってたような、それくらい意識の境目がわからなかった。

 

 

 

何か長い夢をみたような気がするなか目が覚めたら「終わりましたからねー!」みたいなことを言われて、病室に運ばれるところだった。夢のしっぽをつかもうとしたけど何も思い出せなかった。

 

生きて帰ってこれた…

挿管チューブ知らんうちに抜かれてた…

痰が出そうな感じはあるけど気持ち悪さはない…

それが目覚めてからの所感だった。意外と脳みそ働くんやなぁと思いながらストレッチャーで病室に運ばれていった。

 

病室戻ってからは4時間安静って言われたことを守って全く頭も身体も動かさないようにして、その間も吐き気止めは点滴から投与してもらっていた。(術後すぐ動くのも気持ち悪くなる原因と何かで見た気がして)

 

起き上がるのが怖かったが、4時間の安静後起き上がってトイレに行って(尿管チューブは無しだった)、その晩からご飯(お粥じゃない)が出たけど怖くて食べられなくてお茶だけ飲んで、点滴変えるタイミングで引き続き吐き気止めを投与してもらった。

抗生物質か吐き気止めか、どっちかわからんけど点滴されてる間は鼻腔に独特の匂いを感じてたな。気のせいかもしれないけど。

 

点滴もその日の晩に終わり、手術した晩から点滴なしってホンマに大丈夫?!って不安になりながら、なんとか気持ち悪くなることもなく初日を終えられた。

 

次の日の朝ごはんは少しだけたべて、昼夜と少しずつ食べる量増やしていって、その後も気持ち悪くなったりすることもなく、なんとか回復していけそうだと思って、精神的に不安定になったりもしつつ、なんとか退院することができた。

 

 

生まれて初めての入院生活だった。

 

今思うと、麻酔科とは手術前の診察や回診時に相談する機会はあったのに、「吐くのが怖い」なんて言葉にすれば全人類共通の事項を改めて言うのが恥ずかしくて言えなかったりしたけど、吐きたくないですってことを事前にしっかり伝えてもよかったかもと思う。

自分の中で恐怖心をすくすく育てるだけじゃ心細すぎた。

 

 

私は今回骨折をつなぎあわせて固定する程度だったけど、内臓に関わる手術ならもっと身体にダメージは喰らうのだろうし、また術後の経過も病によるのだろうけど、とりあえず今回わたしが無事に一連の流れを終えられたことは、私の中に記しておきたい。

 

こんなんじゃ妊娠出産むりやなと思って人生悲観したりもしたけど、その時が来たらまたその時考えるしかないのかなあ

 

手術の恐怖に怯える人たちがみんな苦痛なく手術が終えられますように。

 

 

病室のベッドで震えながら聴いていた赤い公園

KOIKI

KOIKI