ふやけたコロッケ

そんなかんじのことです

来月のクレカ支払い12万

一人暮らしを大学以来に始めることになった。今日、2月11日より。

二年前の今頃実家に戻ってきてからの、2度目の1人暮らしなので右も左もわからない状態ではないけど、不安は普通にある。働きながらの一人暮らしは初めてだし。

別に彼氏がいるわけでもなく、職場が破滅的に遠いわけでもない。でも「あ、一人暮らししよう」とニュートラム沿線のUR団地を見て漠然と思った去年の4月。そんな直感的なものから始まったので、「家出ていく必要あるんか」とは家族に言われ続けた。自分もこれはホンマに自分の人生に必要なことなのだろうか、と思っている。

家族もいつ元気じゃなくなるかは誰にも想像つかないし、そのことを思うと何よりも人生で大事なこと優先すべきことってなんなんだろうなと思うけど。
一応国試に集中するためという名目のもと、12月に合格証を受け取ることでこの一人暮らしを正当化させるしかない。


自分がやった方がいいと信じて選んだことに少しでも自信を持つようにしたい。

がんばりましょう

23才の夏休み

 

 

23歳の夏休みには九十九里浜に行って「23歳になっちまった」と叫んだりしてみたかったが、わずか五日の23歳の夏休みは、家で毎日横たわってるだけで終わってしまった。

 

8月は色々なことがあった、

 

1.職場で泣く

毎日21時過ぎまで残業してたらなんか"こっちからアクション起こさないと何も指導しない上司"(社会ってこうなんですか?)に腹立って、おまけに注意されてエンエン泣いた。

職場で泣いたことのある女性は7割くらいいると、なんかの記事で読んだことがあったので、ああ自分も仲間入りしたかと泣きながら冷静に考えていた。女は血と汗と涙を流して働いているんだ。そのことを悠然と朝電車の座席に座るダース詰めのオッサンを見たときにも思う。

(あのオッサンたちだって社会の歯車であり、女性専用車両があることの意味もわかるけど、生理1日目とかにあの光景を見ると流石にアーってなる時ある)

 

とにかく自分で抱え込みすぎないことが大事だとわかった。

 

2.製図を諦める、学科合格

7月に試験を受けて自己採点では合格か不合格か微妙だった二級建築士学科試験の結果が先週分かったが、去年1点足らずで落ちた無念も晴れて、今年は合格となった。

一年経つと流石に業務での知識もついてきてて、去年よりだいぶ理解しながら問題を解くことができたように思う。

 

ただ、7月から講義の始まった製図の方は全くで、お盆に巻き返すつもりが↑の仕事での疲れにより、完全に家で屍になってたら気付いたら5連休は終わっていた…

もうお盆を制せなかった社会人受験生は負け確定なんです。資格予備校も無事不登校になりました。舐めとんか

 

3.サマソニに行く

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本当にミーハーすぎるのだけど、NewJeans をこの目で一眼みたいという気持ちだけでとったチケットだったけど、結果的にまあこれのおかげで今年の夏は色のついた夏になった

 

ただクソ暑くて暑すぎて、500ミリペットボトル3-4本のんだから熱中症とまではいかなかったけどなんかずっと身体に熱が篭ってるような感じで、

おまけに1人で行ったもんだからずっとドキドキしっぱなしで、(サマソニ規模のフェスは今回が初めて)泊まる場所の最寄駅に着く頃にはなんか変な震えと動悸が止まらなくなって、ああー無茶しないほうがいいんかな、と思った。

 

まあでもNewJeans をこの目で見れた瞬間のあの高揚感はもう忘れられないよ。ああーっ存在するーーっえっ尊いーーーっえっヘリンさん顔が好きすぎるので推してたけどダニエルちゃんおしゃべりでかわいいーーーっとか色々思ってました。本当に日本語MC尊かった

なお現地着くのが遅すぎた結果、ラスト二曲しか見れず……( ;  ; )dittoはみたかったて(クソニワカ発言)

 

CorneliusとWet legは室内でゆったりじっくり見れたしよかった。

 

 

4.持病、再来?!

 

その熱中症まがいが根をひいたのかなんなのか分からないが、8月はなんか持病というか"たまに吠える飼い犬"くらいの不安症が芽を出して、

過換気になったり食欲がゼロになったり本当になんか久々にこんな調子悪くなった…。

そもそもサマソニ前から発作も出てたので、サマソニに行くかどうかも悩んだのだけど、これは難しいところだ。やりたいこととやらないでいたほうが身のためってことのバランスは。

 

会社にいるときにも屍と化す時間もでてきたりと、念のため総務の方にも相談はしたりした。

 

そういうことがあって、8月は結構迷子というか、なんか不安と現実逃避の中で溺れかけてるような日々で、少ししんどかったような気がする。

8/31は魚座の満月ということで、なんか調子悪かったのも全部引力のせいにして、明日からの9月はきっといい感じの日々が待ってるはずだと思いながら秋を待ちます。

 

 

 

33才こそ「そして33才さー!」と九十九里浜に叫びに行きたい

23才の夏休み

23才の夏休み

 

職業選択の自由

 

向いてる仕事、向いてない仕事というのは間違いなくあると思う。

私は臨機応変な対応が求められる仕事や体力の必要な仕事はできないと、この23年でなんとなくは実感した。

 

今の設計の仕事は、上司に守られてるうちは自分の判断でお客さん(発注者)に大きな損害を与えることはないし、聞けば色々教えてもらえるし、座り仕事だし、臨機応変にやっていくこともそこまで多くないので、最初は「接客のバイトより楽ー!!」とか思ってた。

 

しかし最近思うのは、この仕事を一生続けるのは無理かもしれない…と。

 

色々言われたりしたって私の直属の上司(女性)は配属初日から惚れ込んだほどにかっこよくてやさしくて、尊敬しているから、できる限りはついていきたいとは思いながらも、そもそも私ってこの仕事、向いてるのかなあって時々思うようになった。

 

むろん、2年目でそんなこと分かるのかっていう話ではある。わたしが見ているのなんて莫大な業務の一部だろうし。

 

なんで建築の仕事を選んだかいまいちど考えてみれば、母親から「手に職をつけなさい」と教え込まれ、技術士の父親を見てなんとなく、自分は絵を描くのも好きだし建築士なんて良いのかもしれないとか思って志した道。

ひとりぼっちで苦しんだり転部とか考えたりしつつも大学を4年間続けられたのは、好きっていう気持ちがないことはないんだと思う。

 

ただ、いまいちピンとこないというか、

もっと適職があるなら探したいと思ってしまうのは、逃げ癖標準搭載の私にとって必然的なこと。

 

でも多分そこじゃないんだと思う。この調子じゃどの仕事についても同じことで、何かしらで悩んで「いやこの仕事向いてないのでは」と思いながら転々としてしまう未来は見える。

 

そもそも実家暮らしで彼氏もいないわたしにとって、仕事というもの自体"しなくても死なない"ものであるというふうに思ってしまっている節があり、やはり一人暮らししてもっと自分を追いつめようという結論に至る。

 

意志あるところに道は開ける。

 

とりあえず3年。とりあえず3年。

 

 

脱・くすぶり宣言

 

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三ヶ月だけ付き合ってた、付き合ってたと呼べるかも微妙なレベルの人と、たまたま昨日顔を合わせる機会があった。2年ぶりだろうか。

 

なぜだか私は昼から美容院まで行って、髪まで巻いてもらって、おのぼりさんのような気持ちでその空間に向かったけど、私も彼もなんら変わってないということに、なんだか ああ、となってしまった。

 

わたしはなんかこの一年で進化したような気持ちになっていたけど、その実そんなことはなく、まだ気持ち悪い自分のままなんだってわかって、なんだか あああああ、と。

 

人はそんな簡単には変わらない。

 

ずっとずっと熟成してきた私の気持ち悪い部分は簡単には変わらない。

そういう気持ちになることも、前から目に見えていて、行かないという選択肢を取ることもできたけれど、なぜなのか私は希望を持ちすぎなのか馬鹿なのか、そういう場に足を運んでしまうねんなあ。

 

とにかく反省会をしている。

 

 

 

今日はあと1hちょっとしたら歯医者。

当たり前だけど、自分の怠惰で先延ばしにしたことは、その分自分で埋め合わせていかないといけないんだということを毎週歯医者で痛感している。

まだ23、なのかもう23、なのか分からないけど、私は23年中10年くらいは殆ど何も進化しない時期におかれていたので、それの埋め合わせも自分でしていかなければならない。

 

もちろん理不尽というのは誰にでも存在するわけで、皆少なからずそういう思いを抱えながら生きているのかもしれないけど。

 

精神科医YouTubeで「解決できないと思ってる問題は解決できますから自殺はよくない」って言っていたけど、それに対して誰かがコメントしていた「治るまで耐えるとか、待つのが一番辛いんだと思う」というのが いやほんとそれ、と思った。

 

「待ち」の時間なくして、成熟はできないとは思うけど焦ってしまう。

 

 

 

なんか色々うだうだ言いましたが、かわいくなりたいし根拠のある自信を持ちたいっていうだけの話。

23さいは、そういう年にしたい。

 

 

 

 

やればできる

と言われることが昔から多かった。

 

 

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それゆえ、頑張らないことだけを頑張ってきた私は、頑張ってその気になればなんでもできると思い込んでいた。

ただ、いわゆるセルフハンディキャッピングに隠れて見えなかった私の本質は、きっと大したことないのだろうなあ、と流石に22にもなると気付き始めるわけだ

 

自分はできるはずだと過信しているから

「大学で4年間も建築を学んできたはずなのにこんなことが分からないなんて、と上司に思われたらどうしよう」とか「二級も落ちてるし誰よりもこの会社で劣ってるんだろうな」とかとか、思ってしまうのだ

 

中学時代から成績は下の中くらいで(ここでも下の下とは言わない僅かなプライドを発揮する)、大学受験も偏差値37の現代文のみの入試すら落ちた私は、負けることには慣れてるはずなのに、俺はまだ本気出してないだけという思いに苛まれ続けている。

 

これをやめたい、と思う。

 

できないことがあって当たり前。知らないことがあって当たり前。それを恥ずかしがらないことが成長への近道だよ、と、同じように悩んでる後輩がいれば、したり顔で私も呟くとは思うのだけど。

 

なかなか難しいのです。

 

かといってかれこれ入社して8ヶ月程度経ち、今までずっとそういったことで悩んできたわけでもなく、日々わからないことがあれば質問するようにはしているけど、

時々ひょっこりとグラグラな自分が出現して、自尊心を一切傷つけたくないモードに入ることがある。

 

まあ女は月に何回か性格が変わるというし、そういうホルモンのバランス的なこともあるのだけど。

 

 

先週はなんかそういう感じだったので、自分を鼓舞するためにここに書き留めた次第。

 

「誰も自分に期待してない」とまで思ってしまったら頑張らなくなってしまうので

「自分の僅かな力でも力になってるはず」という少しの自信を日々持てたらいいなあ、と思う

 

 

克服したいとは思ってる

 

 

とにかく吐くという行為が怖い。

 

嘔吐恐怖症 - Wikipedia

 

 

いつからか、吐くことや人が吐いていることにとてつもない恐怖を感じるようになっていた。

小学生の頃には隣のクラスの牛乳を戻しやすい子が恐怖で、給食の後はその子の教室の前を通る時息を止めていたほどに。

飼い猫や家族が吐いた階のトイレは使えなくなるほどに。

 

 

そんな人間が全身麻酔と対峙する話です。

 

経緯

 

9月半ばに納期を迎える業務を抱えていたころ。新入社員ながら上司の仕事の振り方に納得がいってないまま残業するような日々が続いていた。

金曜日の朝。会社に遅刻しないギリギリの便は7時52分発。その一本前の7時44分の便に間に合わせるべく大人気なく立ち漕ぎで駅までの道を自転車でダッシュしていた。

 

ら。

 

家出て3分もしないうちに傘が自転車の前輪に絡まって転倒。あまりに急展開。

運ばれた脳神経外科で診断されたのは頬骨骨折。

診察室に入って開口一番くらいに「手術が必要かと思われます」と言われた時はショックで痛みが飛んだ。自分の人生で聞くことはないセリフだと思ってた。

紹介状を書いてもらい受診した形成外科でも同じく手術を勧められる。

 

 

全身麻酔ですよね?」

「はいそうです」

 

 

いつだったか、全身麻酔は覚醒後が吐き気地獄ということを知ってから、一生大怪我と大病はしないと心に誓ったはずだったが。

 

あまりの急展開でショックな中、血液検査とX線と心電図をとるために、さながらDV彼氏に殴られたような顔で広い病院の中を右往左往する。

血液検査も抗原検査も通常時ならビビり散らかしていたけど、手術宣告で最早屁でもなかった。

 

 

そこから入院初日までは正直もう「手術する」という事実と向き合わないようにしていた。というかその頃は嘔吐のリスクとかよりも、この手術で目が覚めなかったらどうしようという思いの方が強かった。

 

初日。火曜日の昼から入院し、初めての入院に心細さを感じながら売店に行ったりして暇を潰す。

夕方ごろに同室の全麻明けの人が戻ってきて、その人も手術が怖かったのか終わったことに安堵しているような独り言が聞こえてきた。

2,3時間で結構病室から遠くまで歩いたりしていたようなので、思ったより全身麻酔って大したことないのかな?とその時点では思っていた。

 

さて、夜ご飯食べ終わって消灯する少し前、マジで手術嫌すぎるな~~と思いながら手持ち無沙汰にムーミン谷の探し物をプレイしていたら、なんだかBGMに紛れて唸るような声が聞こえるのだ。

 

さっきまで元気かと思われた同室の方だった。

 

こういう時の嫌な予感はもう十何年も培ってきている。自衛のためにイヤホンで音楽をきいていたら、看護師さんが駆けてくるような気配が仕切りのカーテン越しに見えた。恐る恐るやりとりを聞いていたら、その予感は的中していたようだった。

 

嘔吐恐怖症にとって、同じ空間に吐人(げろんちゅ)というのは、絶体絶命、地獄の淵、ジ・エンドでしかない。

 

そこからはどうすればこの空間から脱走できるかをひたすら考えた。

仕事休んで入院してる以上治さなければいけないことはわかっていても、すぐに病室の窓から飛び出して脱走したいくらいだった。病室は6階だったからその手は諦めるしかなかったが、2階くらいなら脱走していたかもしれない。

 

イヤホンをぎゅっと耳に押し込んでギターがなるべくジャキジャキしてる曲を聴きながら寝ようとするも、同室の人が寝返りする気配ですら怖くて動悸がする。

純情ランドセルを一枚聴き終えたあたりでいびきが聞こえてくると安心して、BGMをクラシックに変えて目を瞑るがほとんど眠れなかった。

 

なんせ明日は我が身なのだから。全身麻酔のリスクについて延々と調べていると「若い女性」は全身麻酔後吐き気がでやすいとの記事を見て、その時ばかりは老いを求めた。

 

そんなこんなで一晩が過ぎて、部屋に光が射し始めたAM6時ごろ看護師さんが体温と血圧をはかりにくる。37.5度。んー、とちょっと悩む看護師さん。

手術することを受け入れられてた訳ではなかったが、その時やっと、「吐き気が怖いので吐き気止めを点滴に入れてほしいです」と看護師さんに伝えることができた。

 

その後も熱を何回か測りにこられ、30分前くらいになるともはやどうにでもなれという気持ちに変わり始める。朝には同室の人は回復していたからそれで少し気持ちが落ち着いたということもあった。

 

 

結果、微熱でもオペ決行となり、8:40看護師さんが病室に迎えに来る。一緒に手術室へ向かう道中で看護師さんが同い年なんですー!と教えてくれて、ご立派っすねーと感心する余裕はまだ残っていた。

 

手術室は何個か並んでおり、わたしの入る手術室に着くと人がいっぱいいた。

 

一通りやりとりしたら手術台へ案内され、もういよいよ逃れられないことがわかってきて、点滴に吐き気止め入れていただきたいですってことを伝えて(絶対前もって言っておいた方がいい)、怖い怖いと連呼していたら、「とりあえず寝てみよっか」とオペ室ナースにたしなめられる。

そう言われると少し心理的なハードルが下がって、寝るだけ寝るだけ、と思って寝てみる。そこから流れるように心電図つけられ、点滴を挿され、またピーピー喚いてたら気の強そうなオペ室ナースに「子供でも出来るねんから」と言われる。それはそうだろうけども!

 

点滴がささると、恐怖で呼吸が浅くなってるからなのか、薬の影響なのか、身体が痺れるような感覚があった。

そんな状態の中、枕元でパソコンの不具合かなんかでログインできないとプチ騒ぎになっており、中止にならんか?!とまだその時点でも逃げようとする。

騒がしくてごめんね〜と謝られた。朝イチの手術はこういう事がよくあるのかもしれない。

 

不安すぎて他にたくさん聞きたいことあったけどなんだか声出す気力もなくなってきて、さっき看護師さんがつけてくれたラジオから流れる髭男をぬぼーっと聴いていた。

 

準備が整って、不織布マスクの上から酸素マスクがつけられ、深呼吸してくださーいからひとつふたつ呼吸したら…ぷつんと切れるような感覚はなくて、

みてたテレビが目を離したすきに再度画面見たら砂嵐になってたような、それくらい意識の境目がわからなかった。

 

 

 

何か長い夢をみたような気がするなか目が覚めたら「終わりましたからねー!」みたいなことを言われて、病室に運ばれるところだった。夢のしっぽをつかもうとしたけど何も思い出せなかった。

 

生きて帰ってこれた…

挿管チューブ知らんうちに抜かれてた…

痰が出そうな感じはあるけど気持ち悪さはない…

それが目覚めてからの所感だった。意外と脳みそ働くんやなぁと思いながらストレッチャーで病室に運ばれていった。

 

病室戻ってからは4時間安静って言われたことを守って全く頭も身体も動かさないようにして、その間も吐き気止めは点滴から投与してもらっていた。(術後すぐ動くのも気持ち悪くなる原因と何かで見た気がして)

 

起き上がるのが怖かったが、4時間の安静後起き上がってトイレに行って(尿管チューブは無しだった)、その晩からご飯(お粥じゃない)が出たけど怖くて食べられなくてお茶だけ飲んで、点滴変えるタイミングで引き続き吐き気止めを投与してもらった。

抗生物質か吐き気止めか、どっちかわからんけど点滴されてる間は鼻腔に独特の匂いを感じてたな。気のせいかもしれないけど。

 

点滴もその日の晩に終わり、手術した晩から点滴なしってホンマに大丈夫?!って不安になりながら、なんとか気持ち悪くなることもなく初日を終えられた。

 

次の日の朝ごはんは少しだけたべて、昼夜と少しずつ食べる量増やしていって、その後も気持ち悪くなったりすることもなく、なんとか回復していけそうだと思って、精神的に不安定になったりもしつつ、なんとか退院することができた。

 

 

生まれて初めての入院生活だった。

 

今思うと、麻酔科とは手術前の診察や回診時に相談する機会はあったのに、「吐くのが怖い」なんて言葉にすれば全人類共通の事項を改めて言うのが恥ずかしくて言えなかったりしたけど、吐きたくないですってことを事前にしっかり伝えてもよかったかもと思う。

自分の中で恐怖心をすくすく育てるだけじゃ心細すぎた。

 

 

私は今回骨折をつなぎあわせて固定する程度だったけど、内臓に関わる手術ならもっと身体にダメージは喰らうのだろうし、また術後の経過も病によるのだろうけど、とりあえず今回わたしが無事に一連の流れを終えられたことは、私の中に記しておきたい。

 

こんなんじゃ妊娠出産むりやなと思って人生悲観したりもしたけど、その時が来たらまたその時考えるしかないのかなあ

 

手術の恐怖に怯える人たちがみんな苦痛なく手術が終えられますように。

 

 

病室のベッドで震えながら聴いていた赤い公園

KOIKI

KOIKI



22歳の春休み

 

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年齢層を答えるときに「20代」を選ぶことに迷いがなくなったときが10代を脱皮した瞬間ならば、学生を脱皮する瞬間はいつなのだろう。

 

あと7日で学生という立場が終わる。

このブログは当初、「残り少ない大学生活を後々振り返ったときに、かけがえのない日々を鮮明に思い出せるように些細なことも文字にして残しておこう」という思いで始まったもののはずである。

しかし、ブログを書くということは自分の感受性の薄さや自分自身を謳歌してなさ、言葉の知らなさ、など、いろんなことをまざまざと感じるだけの作業で、結局4つほど雑文を投稿したのちめっきり書かなくなってしまっていた。

そもそも自分の大学生活はなんかいまいちパンチがなく、呆気ないといえば呆気ない、薄い4年間ではあったから、忘れてしまうことなんて本当に些細なことで、どうでもいいことだ。

わたしのかけがえのなくもない日々は、文章にさせることなく脳みその中で眠らせておこうと思う。

 

あと残りの一週間は何をしようか。

あと一週間後の自分が、「なんでこの一週間でアレをしておかなかったんだろう」と後悔しているかもしれないのが怖い。短い時間でメイクする方法や早起きの習慣づけ、通勤ルートの予習、二級建築士の勉強等々、やるべきことは色々ある。ただ、べきことはやりたくないのが性だ。

「もうきのままに休むこともしばらくできない」という思考に縛られ、若干苦しみつつのびのびとした日々を送っています。

 

尼崎にアマゾンの倉庫ができるニュースを見て、「最悪仕事うまくいかなかったらここで働くか」なんてことを思う。

学校に毎日行くことすらままならなかったわたしは、大学もギリギリで卒業しているし、本当に8時半始業の17時半終業の日々に耐えられている自分が想像できない。

アマゾンの倉庫でボロ雑巾の如く働いてる自分は容易く想像できるのに。

 

だから私はただ願う。勤務先に作業着の似合う、顔がいいおじさん上司がいますように。それが結局一番デカい通勤モチベーションとなります。